「彼女が魔女になった理由」
バイトに忙殺されていたせいで間が空いてしまった。ちなみに書き始めたのは19日。
ある程度聴きこんでみたところで、ブックレットに記載されていないあれこれ、あるいは雑感やら私的解釈やら妄想やらをつらつらとメモ。
とりあえずは独力のみを頼りに。どうしても聴きとれないからパス、あるいは、ここはそうじゃないだろ、なんてこともあるだろうけどそこは御愛嬌。内容が前後したり、急に別の曲に話が飛ぶ可能性もあり。ただし、少なくとも物語の関連性という観点から地平線を越えることはしない方向で。
三曲目、「彼女が魔女になった理由」。
メインボーカルは「Moira」から続投のMIKIさん。六姉妹の長女。ちょっとハスキー気味な声が特徴的。
主人公となるのはメル坊やの母、テレーゼ。ブックレットにのっけられているイラストが非常に意味深。テレーゼらしき女性が十字架を掲げている? 今まさに地面から引き抜いた、というようにも見える。それとも、単に十字架に磔にされる=魔女として火刑に処されることの暗示?
Achtung, Wahn! ~妄想炸裂注意報~
■「なぜです。なぜこの子を方伯家の世継ぎとして認めてくださらないのです」
「その話なら、終わったはずだ」
「妾腹だから? それとも、この子の体が、不自由だから――」
「くどいぞ、アンネリーゼ」
「あぁ……ごめんなさい。すべては母が――あなたをそんなふうに産んだ、この母が悪いのです――」
「くどいと言っている!」
「あぁ……嗚呼……!」
男女の会話。男性は(テューリンゲン?)方伯、女性はその妾で、名前はアンネリーゼ。母の身分が低いうえ、体に何らかの障害があるらしく、それゆえなのか、両者の間に生まれた子には将来方伯家の跡取りとなる望みはない、といったことがわかる。少なくとも方伯は断固その子を跡取りにする気はない様子。一方アンネリーゼはといえば、声音こそあまり強気でもヒステリックでもないものの、方伯に詰め寄るような語調には何としてもわが子を未来の方伯にという野心のようなものが垣間見える。あるいは、野心というほどのものではないとするなら、自分の産んだ子が将来高い地位につくことで何不自由ない暮らしを送れるようにしてやりたいと願う親心か。
跡取り云々という話になっているのだから、子はおそらく男児。女性が家を継ぐことがなかったわけではないだろうけど、男性の方が望ましかったのは間違いない。産まれたのが仮に女児であったなら、アンネリーゼも跡取り云々と騒いだりはしなかったと思う。
妾風情(というのもなんだけど)がこんなにも直截に、しかも世継ぎを必要としているであろう当の本人に向かってこんなことを言っているという状況を考えると、もしかしたら方伯には(世継ぎになれそうな)子ども、さらにもしかしたら正妻までもがいないのかもしれない。
■「アンネリーゼ。あなたの気持ちは、痛いほどわかる。それでも私は――あなたを、許さない」
この台詞のCV担当はどうやらMIKIさんのようなので、これはテレーゼの独白ということになるか。
ここで気になるのがこの物語におけるテレーゼの立ち位置。ここで方伯とアンネリーゼのやりとりの後、唐突にテレーゼが登場するのはいったいどういうわけなんだろう。名指しで呼びかける相手であるアンネリーゼとはどういう間柄なのか。
一曲目に聞こえたテレーゼの台詞に、「テレーゼ・フォン・ルードヴィング、堕ちてもラントグラーフの血筋」というくだりがあったのがおそらく最も大きな判断材料。この台詞から、「ルードヴィング家=ラントグラーフ(=方伯)の血筋」という図式が読み取れる。ラントグラーフはテューリンゲン方伯を指すものと見るのが無難。
「ラントグラーフの血筋」と言うからには、テレーゼは婚姻によってフォン・ルードヴィングの名を名乗っているとは考えにくい。結論から言ってしまえば、冒頭に登場する方伯はテレーゼの父で、テレーゼは方伯とその正妻との間の娘、正妻は冒頭の会話の時点ですでに死去している、アンネリーゼは方伯の(後妻ではなくあくまでただの)妾、さらに、方伯には娘のテレーゼと、アンネリーゼが産んだ男児しか子がいないのではないか、というのが私の見解。根拠はこの曲の中をなぞりつつ述べていきたいので、とりあえずはおいておく。
この台詞から読み取れるのは、テレーゼはアンネリーゼに対して同情と親近感のようなもの、そして同時に根の深い憎しみを抱いているということ。特に「許さない」というあたりは「断罪者」ないしはテレーゼの末路への伏線とみた。
■「坊や」→「メル」
テレーゼの息子メルの登場。二曲目で判明したフルネームはメルツ・フォン・ルードヴィング。
「光を知らない」とあるから、生まれつき盲目であったらしいことがわかる。ちなみに一曲目にも「盲いた闇で」とあった。歌詞や拾い集めた台詞をじっくり聴いてみるに、成長した少年時代のメルは純粋で素直な良い子のようだし、母子の仲はきわめて良好に思われるから、テレーゼはきっと盲目であっても息子を慈しんで育てたんだろうな、と想像。
■「坊や」→「メル」
「おかあさん」→„Mutti"(ムッティ)
幼いメルの笑い声。
幼いメルのパートを担当するのは Junger März、これまたまさかのボカロ。違和感がなさすぎて逆に違和感。実は人間じゃないのかこれ。しかしなぜボカロなんだろう。エリーゼの存在があるからなんだか意味深。
「光を知らない」メルが、「あったかい」ものを指して「ひかり」と言う。母子は森暮らしだから、盲目というのはさておき、実際のところメルは光にはあまり接していないものと思われる。一曲目の歌詞を踏まえると、メルがこのとき「光」と呼んだ「その温もり」の真の名は「光」ではなく「(母の)愛」ということらしい。
テレーゼはそれを聴いてどんな気持ちになったのか。おそらくは盲目の息子がよりいっそう憐れで愛おしくてたまらなかったんじゃなかろうか。そしてそれと同時に罪悪感と贖罪の念に駆られたらしいということが、次の段、少しずつ調子を変えながら繰り返される「ごめんなさい」から読みとれる。「私です」と繰り返しているのも印象的。
■「罪深い《私》です」
そしてこれ。二重山カッコが気になって仕方ない。「《私》」、これは二曲目の「《彼以外もう愛せない》」と同じく、自我(エゴ)の叫びないしは自我(エゴ)そのものを表しているんじゃないだろうか。さらにそれを「罪深い」と言っているのも気になる。つまり、テレーゼにしてみれば、メルを産んだのはテレーゼ自身のエゴによるもの。そのエゴを罪深いと形容するのはなぜなんだろう。
■くしゃみの音。
「寒くない、メル?」
「うん…」
ここの会話はどういった意図でもって挟まれているんだろう。ある意味、「『あったかいね』」の続き? もしかしたらここでのメルは「『あったかいね』」の頃より多少成長していて、自分が盲目であること、光というものを本当には知らないのだということを悟ってしまっているのかもしれない。「光」に対する認識が自分と母とでは異なっていることに気づいた、とか。
■「母にして姉であり」
ここで衝撃。ずばり、メルはテレーゼとその父親との間にできた子どもということか。
はじめ「母」か「姉」のどちらか、あるいは両方に「義」がつくんじゃないか、と思っていろいろ考えてもみたのだけど、ブックレットにはっきりこう書いてある、ナレーションがはっきりこう読んでいる以上、そっくりそのまま受け取るのが一番いいだろうと思った次第。「堕ちても」という台詞にも繋がるし。
つまりテレーゼは、いわゆるインセストタブーを破ったこと、そしてそれが罪だと承知の上でメルを産んだことを指して「罪深い」と言っているのでは。そしてこれらの罪とは、テレーゼにとっては、タブーの侵犯という社会に対する罪である以上に、世間から後ろ指をさされるに違いないわが子に対して犯した罪なんじゃないかな、と。
で、そうするとさらに疑問が発生する。まず、テレーゼが父親とそういう行為に至ったのはテレーゼが望んだことだったのか否か。これはひとまずおいておくとして、もうひとつ、メルを産んだことはテレーゼが望んだことだったのか否か。これは最初の疑問の答えによって大きく左右されうるところだろうけど、カトリックが堕胎を大罪と定めている以上、少なくとも「産まなければならない」状況だったことは確か。堕胎の罪を恐れたために産んだのなら、それを指して罪と言っているのか。
私としては、このあたりに「断罪者にして贖罪者」の根拠が見える気がする。おそらく、テレーゼは罪の結果宿した子を産み育てることでその子に対する贖罪を行っていたのだと思う。消極的なものか積極的なものか、いまいち判断しかねるけど、おそらくメルを産んだそのこと自体はテレーゼ自身が望んでしたことなのではなかろうか……と、希望的観測混じりに推測してみる。
いまいち推測しにくいのは「断罪者」というくだり。テレーゼの独白からすると、断罪する相手はアンネリーゼということでいいんだろうか。それとも方伯?
私はやはり、この場合アンネリーゼが適当だと思う。「贖罪者」と表されているからには、テレーゼがメルを宿した経緯が方伯との合意のうえであると否とにかかわらず、その罪は方伯が一方的に負うものではないとテレーゼは捉えている(と描写されている)はず。自分と同じ罪を負う者を自分の手で断罪、というのはちょっと考えにくい。
ではアンネリーゼが犯した罪、おそらくはテレーゼに対して犯した罪というのは何なのか。
かなり憶測混じりになるけど、おそらくはメルを害そうとした、あるいは実際に害した、といったあたりだと思う。二曲目にある「冷たい土の下に埋められた」というのが幼児の頃のメルだとすれば、それはおそらくアンネリーゼの手によるものと考えられる。
方伯は実の娘テレーゼとの間の禁忌の子メル(盲目)を跡取りにしようとしていて、アンネリーゼは自分(妾)とテレーゼ、自分の子(体が不自由)とメル、それぞれの立場を比較して、テレーゼ達が優遇され自分達が冷遇されていることに憤り、自分の子を方伯家の跡取りにするために邪魔なメルを殺そうとしたのかな、と。
方伯はテレーゼをひとりの女性として、メルを自分の子として真実愛していたのかも。妾の子を跡取りと認めないのは、その子が真実自分の愛した女性との子ではないからか。テレーゼが方伯の亡き正妻に生き写しだったならまさに王道。
……いったん冷静になって読み返してみると妄想しすぎだ自分。
これらは全部、私の想像・憶測・妄想が的を射ていると仮定したうえでのさらなる妄想にすぎないので、これ以上はいったん自重。
「姉」というのがメルにとっての姉ではない可能性も考えてみた(たとえばアンネリーゼの姉とか)けど、つじつま合わせがなかなか難しいので、これはひとまず置いておく。
■「森に移り住み~」
「贖罪の日々」の始まり。
歌詞からわかるのは、おそらくテレーゼはメルの目をなんとかして見えるようにしてやろうと試みたらしいということ。「薬草集めて」薬を作る、「祈れやしない」から神頼みなんてできないしするわけもない、だから自分の手でなんとかするしかない。
ここだけだとそうとるのもちょっと想像混じりになるけど、後の段に「せめてあの子の為に~」とあるから、たぶん間違いないかと。
■「せめてあの子の為に~」
わが子のために気丈に振る舞い手を尽くすテレーゼ。この、母としての子への想いがすごく重要な意味を持っているように思われてならない。
「アンネリーゼ。あなたの気持ちは痛いほどわかる」という台詞も、「母として」のものだろうか。
■「冬に傾きかけた赤子をも~」
大塚ボイスのナレーション。「Roman」の歌詞から推察するに、「冬に傾きかけた=死にかけた」。
テレーゼが医者や産婆のような働きをしていたことがわかる。メルのために「出来得る限りの全て」は同時に生活手段にもなっていたのか。
ナレーションにかぶさるようにして赤ん坊の泣き声。蹄の音。「ハイヤー!」
■扉を開ける音。テレーゼのもとに駆け込んできた「お忍びの侯妃」。
「この子はまだ死んでなんかいません! わたくしには、わたくしにはわかるのです! なぜならつい先日まで、あんなに元気だったのですもの。わたくしは認めませんわ! 将来は必ずや麗人になるはずの子です。わたくしの娘ですもの。帝国中の殿方がほうっておきませんわ。ふふ、困りましたわ。ふふふっ…。――いえ、……もう、そんなことどうでもよいのです。生きてさえ――生きてさえ……いてくれれば……っ!」
嗚咽。
「ゾフィー(?)様、気を強くお持ちください。賢女どのを信じましょう……!」
二曲目に聴こえる馬上の会話の主達と思われる。「もっと急ぎなさい!」と叫んでいた女性が「お忍びの侯妃」、名前は「ゾフィー」? 「ソフィー」と聴こえるような気もするけど、ドイツ語発音なら母音が後続する„s"は基本的に濁音になるから、ここはゾフィーとしておきたい。ちなみに「麗人」の部分ははじめ「美人」かと思ったのだけど、ほんの少しだけ「美人」より長い語に聴こえるので「麗人」としてみた。それにしてもこの侯妃の台詞、いい味だしすぎ。声優さん(沢城みゆきさん?)もグッジョブ。
侯妃についてまず気になるのが、いったいどこの侯妃様なのかということ。「侯」っていうのが包括的に「領主」を意味する「侯」でなくその中の位のひとつである「侯爵」の「侯」だとするなら、かなり位の高い人だということになる。口調もいかにもな感じだし、これはその線でとらえてよさそう? 神聖ローマ帝国中でもけっこう有力な貴族の家の人なのかも?
二曲目の会話が直接この場面に繋がっているとみるのが妥当だし、歌詞の前半はメルとエリーザベトを似たような存在として描いたものと受け取りたい。そうするとこの侯妃はエリーザベトの母ということになる。この三曲目では「訳ありの侯女」がエリーザベトを指す言葉。いったいどういう訳があるのかは謎。とりあえずスルーで。
「もう息をしていなかった」を素直に受け取れば、この時点でエリーザベトは死んでいたことになるけど、二曲目の「~はずの」というのが非常に意味深なので、二曲目のエリーザベト≠三曲目の「訳ありの侯女」とするのはちょっと待ちたい。
■「それを因果応報と切り捨てても良いのだろうか……」
このナレは半ば直接的にテレーゼの心情を説明したものだと思う。で、迷ったもののやはり切り捨てられなかったから、テレーゼはどうにかして侯女=エリーザベトを蘇生した、という流れかと。子を想う母としては、この親子を見捨てることはできなかったのでは。
そもそも、同じことをかつてメルにもしたらしい描写があるので、テレーゼはそれを行うだけの(特別な?)力を持っていたものと思われる。
■„Hörst du mich, du Stiefkind(?)? Man(Dann?) kann mir (???). Grab mich aus!"
剣戟?
ドイツ語の音声。イラストを見るに、井戸の底から聞こえてくるものらしい。非常に聞き取りづらい。
„Hörst du mich"だけはブックレットに載っているしはっきりそうと聞こえるので確定。その後が„du"だというのもおそらく間違いない。そしてその後が問題。少なくとも英語やドイツ語だとよくある言い方だと思うのだけど、その定石通り、この„du"の後には„du"と同格の名詞がきているんじゃなかろうか。で、粘って何度も聴いてみたところ、どうやら„s"っぽい音と„t"っぽい音、さらに長い„i"の音が聞こえたので、それっぽい語を探してみたところ、 „Stiefkind"(シュティーフキント) かなと思った次第。語頭が「ス」に聞こえるという気がしないでもないのだけど、単に周りの音に紛れてそう聞こえてしまっているだけなのかも。„t"と母音が後続する„s"は「シュ」っぽく発音するのが普通。いわゆる無声硬口蓋歯茎音というやつ。
„Stiefkind"は、「継子」「連れ子」あるいは比喩的に「不当に軽視されている人」「日の当たらぬ人」を意味する語。メルがテレーゼの実の息子であると思っている(思いたい)私には、この語の本来の意味はかなり痛い。それでも仮に比喩的な意味合いで用いているとすれば、親子間にできた子、つまり表に出せない、日陰者、ということでしっくりくるかな、と。メルが盲目だというのも、ここからきている設定だとすればちょうどいい気がするし。
さらに問題なのが次の台詞。„kann"と、それに続いて„mir"があるのはたぶん確実。„kann"があるので末尾に動詞が来るのは確実。とすると冒頭に主語がくる、というのが最もありえそうな形。もうひとつありえそうなのが、冒頭に副詞ないしは接続詞、„mir"の後に主語。ただし後者の場合„mir"の後にくる主語に人称代名詞が使われることは強調表現でない限りあまりないと言ってよく、指示詞でも不自然、そうすると確実に„mir"より長い語(人称代名詞以外の名詞)が主語ということになる。でもこの二番目の台詞自体そんなに長いものでもないから、この線でいくとちょっと無理がありそうな気がする。よって私は前者を推したい。ちなみに前者の場合だと、聞こえる音からして最も適当と思われる主語は「不特定の人々」を意味することが多い„man"となるかと。普通名詞の„Mann"とは別物なので注意。„man"はあえて訳さないことが多いけど(むしろ訳すと妙なことになったりする)、もとの文が能動態なら受動態っぽく訳すといい具合にはまったりする。
„Stiefkind"、„man"、そして三つ目の台詞を„Grab mich aus"で正解としておくと、全体的にはこういう感じか。
「私の声が聞こえるか、日陰の子よ? 私は(???)されてしまうかもしれない。私を掘り出してくれ!」
何のこっちゃ。
とりあえず、井戸の底から聞こえているらしいこの声が語りかける相手はメルだというのは間違いなさそう。
■「とても不思議な出来事によって~」
エリーザベトと森を散策していたことから想像はつくけど、やはりメルはいつからか目が見えるようになっていたらしく、しかもそれはどうやらテレーゼの治療が成功したからというわけではないらしい。その経緯が非常に気になるところだけど、おそらくプロローグマキシという位置付けにあるこのイドイドではまったくもってその辺が描かれていないので、今のところはとりあえずスルー。
たぶんここから急に時間軸が変わっているものと思われる。ここは一曲目にあった「招かざる客」との争いの後、火刑に処される前のテレーゼの心境らしい。
他の場面で聞こえた台詞がちらほらとかすかに聞こえてくるけど、これはテレーゼが過去を回想していることを示唆しているんだろうか。
この後の「Ha――」と歌うあたりはため息のように聞こえる。
■ざわめき。罵声。
「テューリンゲンの魔女だって。怖いね兄ちゃん」
「あぁ。……いい子にしてないと――魔女に食べられちゃうぞ!」
「わぁっ!」
子どもの笑声。
群衆の叫び。„Hexe! Hexe!"
コーラス。„Opferung"
„Hexe"、ヘクセ。いわゆる「魔女」のこと。
■「一度は冬に抱かれた~」
一度死んだが生き返った、としかとれない。生き返らせたのはテレーゼ?
途中から台詞が被さって聞こえてくる。
■罵声。
神父らしき男の声。飛田ボイス。
「信仰には温情を、異端には業火を以て報いねばならない! さあ諸君、魔女に鉄槌を!」
群衆の叫び。
「鉄槌を!!」
■「観よ 嗚呼 この喜劇を」
サクリファイスのメロディ。コーラス、„Opferung"
テレーゼの哄笑。絶叫。
テレーゼが何を指して「喜劇」と言っているのかをここで具体的に捉えなおす必要があるとみた。えーと、自分を頼ってくる人々を見捨てられずに(それとも生活手段の意味合いが強い?)力をふるっていたのに、それを徒で返されたこと?
テレーゼは魔女狩りの犠牲になったとして、それに関してはメルがどういう立ち位置にいたのかもよくわからない。「戯れに」というのがヒント? あくまで魔女狩りの対象はテレーゼで、メルはそのおまけのような扱いだったのだろうか。いちおう「魔女」の子どもということで噂の一部にはなっていたようだけど。
それとテレーゼの哄笑の少し前から始まるコーラスが何と歌っているのかも気になる。この場面で歌われていることからして、魔女への罵り言葉か、神の栄光の勝利を讃える言葉? „Opferung"とは違う、二語から三語の言葉とみた。まぁ、ドイツ語の単語って時々べらぼうに長かったりするんだけど。
「魔女」がまたもや二重山カッコでくくられていることにも注目。これもエゴということ?
■„Und die siebte Komödie wird sich wiederholen..."
「喜劇」の発音が不思議なことに。オー・ウムラウトの音が短母音の„e"になってる? 強勢も「ディー」の位置にあるみたいだし。まぁ些細なこと、か……?
勢いと集中が続く限り、拾えるだけ拾ってはみたつもりだけど、やっぱりプロローグマキシ、この三曲だけですべてを理解しようとするのは無理があるみたい。明らかに伏せられたままのものもあるし。くっ、チラ見せとは卑怯な。
アルバムの発売が今から楽しみ。自主禁制していたミュージッククリップを解禁してあらためて隅々まで味わいつつ妄想しつつ、その日を待とう。
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コメント
頑張ったな、オイ(笑
私はMoiraよりもこっちのほうが好きだな。Romanに近いというか…
私の中のサンホラのイメージ。
あ、大学で一人だけサンホラ語れる友達を見つけましたw
投稿: 唯花 | 2010.06.23 22:38
うん、がんばった。自分の中に渦巻く妄想をどうにか形にしたくてがんばったw
雰囲気とか物語の体裁とかは「Moira」よりは「Roman」に近いけど、メロディやらエフェクトやら歌詞やらがけっこうダークな分、「Roman」ともまただいぶ違った感じがすると思ってるのが私。
どれがどのくらい好みに合ってるかといえば、
「Moira」(別次元)| イドイド>「Roman」 かな。「Moira」は特別枠。実際今までのやイドイドとは比べちゃいけないものだと思ってる。でもどれもサンホラなのは変わりない。
サンホラーいいよサンホラー。その調子でがんばって!←
投稿: いつき | 2010.06.24 00:00